2006年05月
2006年05月27日
別れ
昨夜は職場の送別会が錦糸町のホテルであった。ちょっと洒落た中華レストランで、個室に20人ほど集まった。
アサヒスーパードライ、青島で先ずはアルコール消毒し、紹興酒。普段あまり紹興酒などは飲まないのであるが、2本ほど飲み干した。
食事はコースメニューになっていたようで、何故か北京ダックが食べ放題。ちょっと怪しかったが。続きを読む
アサヒスーパードライ、青島で先ずはアルコール消毒し、紹興酒。普段あまり紹興酒などは飲まないのであるが、2本ほど飲み干した。
食事はコースメニューになっていたようで、何故か北京ダックが食べ放題。ちょっと怪しかったが。続きを読む
2006年05月23日
富士その2
今朝の富士山は、曇り空の中、一部青空がのぞいたわずかな時間帯にその勇姿を見せていた。天辺には気流の乱れによると思われる変わった形で雲がのしかかっていた。
日中は雲に隠れその勇姿を見せることはなかった(1日観察していた訳ではないのだが)。
続きを読む
日中は雲に隠れその勇姿を見せることはなかった(1日観察していた訳ではないのだが)。
続きを読む
2006年05月16日
ライブ2
今日は午後野暮用がいくつかあったので、早々に職場離脱。当初の所用を済ませ、赤坂へ。赤坂には年1度の検診でくる程度である。その昔は、TBSのホールに良く通ったものである。その頃からすると辺りは一変してしまった。
夕方赤坂にでたのは、ある方からNHKの「フォークの達人」という番組の公開収録の招待状をいただいたからである。会場はお寺の境内に仮設ステージとパイプいすで、100人ほど収容できるようであった。ビルの谷間にある境内は、ここが赤坂であることを忘れさせた。昼頃は雨がパラツイていて、雨の中濡れながらのライブとなるのかと心配したが、そこは普段の行いが良いためか、なんとか雨は上がった。
出演は、高石ともや+ゲスト。16:00会場であったが、15分前には会場の準備ができたとのことで、開場を待っていた10人ほどが境内の席に着いた。前から2列目のほぼ真ん中の席を取った。
開演まで40分ほど待たなければならないと思っていると、おもむろに高石ともやがバイオリン(フィドロ)を持って現れ、もう一人の連れがタンプリンを大きくした太鼓をたたき、演奏し始めた。開演までの場内の雰囲気作りとのこと。連れのお方は、息子さんであった。フランス在住であるがたまたま日本に帰ってきていたので共演がかなったとのこと。
本番が始まり、何曲か一人で歌った。多分初めて「受験生ブルース」を生で聴いた。他にも初めて聴くような曲も昔聴いたことがあるような懐かしい感じがし、一緒に口ずさむことができたのは、なんなんだろう。
ゲストの笠木透、峰岸徹と何曲か歌い、息子さんとも2曲歌った。笠木氏と歌った、好きな曲の1つである「私の子供たちへ」には感動した。
最後は「街」を皆で歌った。高石氏の歌っているときの表情がとても印象的であった。
とても充実した時間を過ごすことができ、満足であったが、パイプいすであったため、お尻が痛くなってしまった。
夕方赤坂にでたのは、ある方からNHKの「フォークの達人」という番組の公開収録の招待状をいただいたからである。会場はお寺の境内に仮設ステージとパイプいすで、100人ほど収容できるようであった。ビルの谷間にある境内は、ここが赤坂であることを忘れさせた。昼頃は雨がパラツイていて、雨の中濡れながらのライブとなるのかと心配したが、そこは普段の行いが良いためか、なんとか雨は上がった。
出演は、高石ともや+ゲスト。16:00会場であったが、15分前には会場の準備ができたとのことで、開場を待っていた10人ほどが境内の席に着いた。前から2列目のほぼ真ん中の席を取った。
開演まで40分ほど待たなければならないと思っていると、おもむろに高石ともやがバイオリン(フィドロ)を持って現れ、もう一人の連れがタンプリンを大きくした太鼓をたたき、演奏し始めた。開演までの場内の雰囲気作りとのこと。連れのお方は、息子さんであった。フランス在住であるがたまたま日本に帰ってきていたので共演がかなったとのこと。
本番が始まり、何曲か一人で歌った。多分初めて「受験生ブルース」を生で聴いた。他にも初めて聴くような曲も昔聴いたことがあるような懐かしい感じがし、一緒に口ずさむことができたのは、なんなんだろう。
ゲストの笠木透、峰岸徹と何曲か歌い、息子さんとも2曲歌った。笠木氏と歌った、好きな曲の1つである「私の子供たちへ」には感動した。
最後は「街」を皆で歌った。高石氏の歌っているときの表情がとても印象的であった。
とても充実した時間を過ごすことができ、満足であったが、パイプいすであったため、お尻が痛くなってしまった。
2006年05月11日
2006年05月08日
2006年05月07日
2006年05月06日
勘違い
先日渋谷で60'の催しに行った際に知ったなぎら氏の出演予定があったのでまたまた渋谷へ行った。
そのときの情報ではなぎら健壱14:30から16:00としかなかったので、ひょっとしてライブかなと思ったのであったが、実際は前回同様某ラジオ放送の公開収録で、司会はエド山口、ゲストになぎら氏であった。実際の放送は30分であるが収録は1時間30分。なかなかテンポのいい内容で面白かったが、かなりきわどい二人の「毒」がそこここに出て、編集が大変であろうかと思った。
収録が始まる前、催し会場の階にエスカレータで上がったところで、見覚えのある初老の長身の人を見かけた。国鉄スワローズの左腕、金田正一である。細身で長身、足が長い。どうもお孫さんのお相手をしているようであった。娘さんらしい人もいたが、これまた長身でスマートな金田氏似のお方であった。国鉄時代、巨人長島相手にあの長身からスローボールを投げたのを記憶している。あの頃の野球は面白かった。また、あの頃は娯楽と言ったら野球かプロレスぐらいしかなかった。力道山、吉村、豊登、ボボブラジル、ロビンソンの回転風車・・・。そういう意味で60'ってとても面白い時代であった。
そのときの情報ではなぎら健壱14:30から16:00としかなかったので、ひょっとしてライブかなと思ったのであったが、実際は前回同様某ラジオ放送の公開収録で、司会はエド山口、ゲストになぎら氏であった。実際の放送は30分であるが収録は1時間30分。なかなかテンポのいい内容で面白かったが、かなりきわどい二人の「毒」がそこここに出て、編集が大変であろうかと思った。
収録が始まる前、催し会場の階にエスカレータで上がったところで、見覚えのある初老の長身の人を見かけた。国鉄スワローズの左腕、金田正一である。細身で長身、足が長い。どうもお孫さんのお相手をしているようであった。娘さんらしい人もいたが、これまた長身でスマートな金田氏似のお方であった。国鉄時代、巨人長島相手にあの長身からスローボールを投げたのを記憶している。あの頃の野球は面白かった。また、あの頃は娯楽と言ったら野球かプロレスぐらいしかなかった。力道山、吉村、豊登、ボボブラジル、ロビンソンの回転風車・・・。そういう意味で60'ってとても面白い時代であった。
2006年05月05日
釣果
久しぶりに江ノ島に行った。連休中であったため江の電が凄く混んでいた。切符売り場から行列、ホームは人で溢れ、車内は行楽客で満員。
海岸はサーファー、ウィンドサーファーで一杯。道路は車で一杯。そんな状況で、腰越港の防波堤に行ってみると、これまた釣り客が一杯。てくてく歩いて西浜に行ってみたら、護岸工事が完成したらしく、新たな堤防(突堤)ができていた。ここには余り釣り客がいなかったので、適当なところで陣取って釣りを始めた。
続きを読む
海岸はサーファー、ウィンドサーファーで一杯。道路は車で一杯。そんな状況で、腰越港の防波堤に行ってみると、これまた釣り客が一杯。てくてく歩いて西浜に行ってみたら、護岸工事が完成したらしく、新たな堤防(突堤)ができていた。ここには余り釣り客がいなかったので、適当なところで陣取って釣りを始めた。
続きを読む